(2002/12/15時点)

新しい記事はもう載せる気はないのですが・・・  

今までの体験談でさえ満足に書ききれていないのですけど、少し気になったことがあるので、ここで感想という形で書いておく。。

医療のサービス化が進んでいるようですね。
聞いたところによると、健康診断が終わって正面玄関から帰ろうとしたら、「ようこそいらっしゃいました。またお越し下さい。」と一礼された総合病院があったそうだ。

しかし、病院で「またお越し下さい。」と言われても、医療費の自己負担も3割負担になるし、できるだけ行きたくないんだけどさ。(^^;;)
もうじき、ポイントカードとかサービス期間、肝臓病フェアとかインフルエンザワクチン接種のファミリーサービスなんかも企画・開催されたりして。。。

威張り散らしたり、怒鳴りつけたりする医者も気にくわないが、病院のスタッフに何も一礼してもらうことまでもないと思うけど。

しかし、病気を治したり改善したりすることは、本当に純粋にサービス業務に該当させてしまっていいのだろうか!? うーむ。いつか考えてみよう。

ラーメン屋に入って、「うまいラーメン屋だと聞いていたのに、大したことないな。ちっともうまくないじゃないか!!」と文句を言ったり悪態をつくのとは訳が違うと思うのです。まあ、こうした態度も全く褒められる類のものではなく、できるだけやるべきとは思われませんが・・・。
そんなにまずいところは、二度と行かなければいいのです。
私もマッサージ等で似たような事は感じたことはありますが、それは同じ店で技量が容易に比較できたし、今までの一定レベルの施療が期待値としてあるはずだったのに同じ金額で格段に低いレベルの施療の提供だったとか、接客態度というより人に対する態度が著しく悪かったからです。

接客態度が著しく悪かったり、診断ミスの疑いがあるなら、今の情報化時代、意見交換するチャンスはいくらでもあるでしょう。そして、その時はできるだけ感情的な発言は少なめにして、こういう点が不満だったと淡々と事実を書くようにした方が良いと思います。

有る程度、社会的に認知されているような医療・療法ならば、第三者から意見とか治療者・施療者への助け船(例:割り箸脳貫通による子供の死亡事件で、発見は困難だった等)とか苦言・疑問も期待できるのですが。。。

これが医療ミスだとか不適切な治療・施療だったということならば、先ほどのラーメン屋の例えでいうならば、食中毒になった場合に相当するということになるでしょう。
こういう被害例の場合には、多方面から意見や情報の収集に努めてもいいでしょう。

確かに期待が大きければ大きいほど、落胆も大きいし、憤りやモヤモヤ感もそれに比例したものになることでしょう。

だけどね・・・。
上記の様に、明らかに評判が悪いとか詐欺であるとかミスである可能性が高いのなら別だけど、誇大広告や「何でも絶対治る」と豪語しているならいざ知らず、初めて赴いて自分が望んだ結果が得られなかった(実際の期待値が設定されてなく、心理的期待値だけはある)から、憤って文句を言うというのは私は少し理解できないところであります。

それはまだどこに行っても(まあ、信頼たりうるところ・世間的に認知されているところを優先して順番に訪問すると思われる)どうしても体調が回復しない、改善しないという体験が不足しているのではないか?と思う。

最初から、社会的に認知されていないところや理解できないところに出向くというのは、基本的に"博打"であると覚悟しておくほうが良いと思う。
当たればでかい(時間・費用の負担が安く済む)が、外れるととても惨めな気分である。

どこへ行っても、聞き飽きた、ありきたりの診断・治療ばかりされて、それでいて全く進展が無いと、たまには違った理論や説明を聞きたくなる。
異なったアプローチの方法を提示してくれるだけでも、閉塞感や何かしら鬱屈した思いから解放される気持ちになれるものだ。
そういう心境は、私のことではないんだけど、長いこと苦しんだことがなければ、いろんなところへ出向いた経験が無いとわからないかもしれない。
そういう状況は、詐欺や変な淫祠邪教がつけいる隙でもあるんだけど。

現状回復はもう全く期待できないけれど、せめて納得したい。。。例えば、現在の境遇になっている原因を知りたい、とか全く別の理論による説明を聞きたいという気持ちになってくるものである。

(書きたいことの七割ぐらいしか表現できていない気がする)