(2004/05/08時点)

近況  

 久々に催眠サイトを巡回してみた。
私はもうやらなくなって、2,3年は経つのかな。。

自己催眠まがいなことは中学生の頃から。他者催眠に関しては1998年頃から練習してみようといろいろな研修会や会合に出かけてみたんだったな。

趣味でやってみて、心身の改善(頭良く?なったり、体調が良くなる等)が或程度なしえたら、もっとしっかりと勉強し直してから転身を考えてもいいかな、と微かには思ってはいたんだ。
しかし、臨床心理士も生活が楽ではないという不安とか、宣伝ほどの効能は(少しでなく大いに)無いのではないか?という疑念(現在は確信に変化しました)が、その思いを捨てさせました。

また、市井の療法家に粗悪な人達が数多くいて、多少良心的かな?と思える人も実は心の癖があって人間関係に摩擦を引き起こしていたりして困りました。

それでも探せば良い療法家(相性が良かっただけかもしれませんが)はいるようです。
また、催眠療法家をはるかに超越した私からみれば全く不思議な療法家もいらっしゃいました。

私は技法だけ主に練習して、専門用語の習得はいいかげんでしたが、プロとアマチュアの差は技量のみならず専門用語を適切に使用することができることができるか否か、という点にありますので、専門知識の習得もしっかりやらなくてはならないでしょうね。専門家を目指して飯を食っていこうと思うのであれば。

私のこの方面の文章は専門的なトレーニングをしてきた人間の匂いを明らかに感じられ無いだろうが、私の体験を自分の言葉で拙い表現ながらも真摯に書き綴ったものであると自負する。

催眠サイト。学術的で客観的な姿勢を保っているところ、増えてきたね。
非常に喜ばしい限りだ。学術的というと理屈っぽいばかりという印象があるが、きちんと因果関係が明確かどうかを出来る限り追求している姿勢があるかどうか、ということが大事だ。

趣味や夢を語るだけというのであれば、私もそういうのも好きなので熱く語ることもあるけれど、商売するのなら、特に自分を変えるために切実に能力をアップさせたいとか不調や病気を改善・治癒したい人を相手にするならば、可能性ばかり語っていたずらに到底叶いそうもない夢を膨らませる態度は不誠実・詐欺と言われても仕方なかろう。詐欺師・悪党になると覚悟してやっているなら有る意味見上げたものだが。

夢や希望を奪っているという非難めいた書き込みも見かけたが、本当に「願い続ければ叶う」「信じれば治る」のなら、そりゃ何も言わないよ。

しかし、催眠に限らず、自分ではできる限り願ったり信じたりして、しかも実際に行動を起こしている人が願いが叶わなかったり治らなかったりしている人は数多くいる。それなのに、「願いや信心が足りなかった」「言うとおりにしなかった」と言われてしまったら彼らは救われないんじゃない?

他人の信心の度合いというか強さまで解るのかね???
それだけでも大した能力だと思うが、外面的には単なる言い逃れにしか見えない。

願っても叶えられない、信じても治らない例が数多いから、疑念を持たれて非難されるんじゃない?それで、もっと理に適った方法や医学的な方法で治れば、「やっぱり!!」と言われてしまうんだろ。

水療法を信じて水ばかりガブガブ飲んでいた患者がなかなか体調が改善せず、漢方的視点で専門医に診てもらったら、水を飲み過ぎていて水毒の証を示していたので、漢方薬を処方してもらってようやく改善したというCASE STUDYの論文を見たことがある。水療法の根幹をなしている理論に、「体内の活性酸素を還元して体の細胞の酸化を防ぐ。」というものがあるが、その理論自体いろいろ議論・検討の余地があるらしいが、それがたとえ真実だったにせよ、その患者の体調不良の原因は活性酸素によるものだという確固たる証拠でもって診断された訳では無い。

水療法でも催眠療法でも、実際にそれを選択する際、確固たるデータは無くて、とりあえずまたは藁をもすがる思いで選んだという感じだ。選択はあやふやな思いだったにもかかわらず、それに固執してしまって、結局蟻地獄のように逃れられなくなってしまっているのは、過大な期待と今までにつぎ込んできた努力と時間の完全な放棄が怖いからなのだろう。

やはり、最初に過大な期待をたしなめる姿勢は必要だと思う。
それでも、どうしても耳を貸さない、自己の期待と心中してしまう人はいるので、そういう人は仕方ない。「勝手にせい!!」というしかなかろう。ただ、他の酷い処で結局はこっぴどくだまされて悲嘆にくれてしまうだろうから、とりあえず、何々療法してあげるのは悪くはないのかもな。。望む療法を施しながら、徐々に説得していく手もあるだろう。

さて、願えば願うほど実現する現象があることは私は否定していない。
それは経済の分野にも一部見られるのではないだろうか?
以下枠内の文章は、経済学者ガルブレイスについて、引用したものである。

ガルブレイスは『バブルの物語』のなかで、バブルに対する警告は、何も知らない羨望に駆られた人による「致富の素晴らしいプロセスに対する攻撃」とみなされるため、歓迎されないと述べている。事実ガルブレイスも議会の銀行・通貨委員会で当時の証券市場の投機に警告を発する証言をしたところ、それが市場に悪影響を与えたとして、脅迫めいたものまで含めた山のような非難の手紙が届けられたという。
 また、1986-7年のアメリカの株式ブームに警告を発したときも、「ガルブレイスは人が金儲けをするのを見るのが嫌いなのだ」と皮肉られている。彼は言う、「熱病的ムードの性質ならびにそこにある既得利益からすれば、(バブルに対する)批判者が、喝采とまではいかなくても、少なくとも是認を受けるには、実際に暴落が起こるまで待たなくてはならない、ということは明らかである。」と。

皆が思い込んでいれば、成立し続ける世界・現象というものは存在する。
しかし、思うにそれは限られた世界であると思う。
上記、ガルブレイスの記事で、警告したら非難の手紙がきたというが、それはネガティブな発言が市場の金儲けの熱を冷やしてしまうことを恐れていることは明らかだと思うが、夢を見続けていたい人にとっては、忌み嫌うべきものなのである。
永遠に株価や土地が上がり続けるなんて冷静に考えればあり得ないと思うのだが、いつのまにか「土地神話」などというように勝手に神話にしてしまうくらい、人の思いというのは身勝手なもので自分の都合の悪いことは視界に入らなくなるのかもしれない。普段の生活では、人間というものは保守的で、ネガティブな言葉が、「この生活を脅かされるのでは。」という不安を増長すると言われているのに、ひとたび何らかの熱気が覆ったら逆になってしまう。

経済は人間の心理が作用する度合いがかなり高いと思う。

しかしながら、やはり、物質的な限界が、それより前に心理的な限界(「そろそろ利益を確保しておこうか。」とする考えなど)がきて、いずれはバブルは弾けてしまう。
日本みたいに、いきなりバブルを弾けさせてしまうほとんど犯罪的な政策をとる大蔵大臣もいたけど。

(執筆 04/05/05-04/05/13)