(2006/09/16時点)う、あっちいけよ!朝鮮 

 もはやHPを運営していないのに、"運営方針"もへったくれもない。はっはっは。
書き殴り・暴言コーナーとほぼ同じ様な扱いになってしまっているのだが、最近の出来事について書いていこう。
ローマ法王ベネディクト16世がドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘したことにイスラム諸国から怒りの声があがっている。

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060916AT2M1502B15092006.html

まあ、私はキリスト教も現在はどうか知らないが、以前には(現在で言う)カルトの定義にあてはまっていた時期があるのでは無かったのか、と思う。イエスは自らを「人の子」だと言っていたはずなのに、三位一体説などを持ち出して「神の子」にしていたり、カトリックなどは教会を設立して、民衆から詐欺的に搾取していたり(プロテスタント、例えばマルティン・ルターにはその行為と聖書との矛盾を突かれた)、それに、新大陸発見などと称して、非キリスト教徒を「人に非ず」としてアメリカ・インディアンとの契約を一方的に破り虐殺してアメリカ大陸を征服したり(西部開拓を舞台設定とした映画などでは、インディアンが一方的に開拓民に襲いかかってきたように表現されていたりして捏造されているのだが)、十字軍の遠征でもそうだが、邪悪かどうかはその基準は明確にはできないのでわかりませんが、残酷さに関してはキリスト教徒も"他の宗教をどうこう言えない"のでは無いの??

もちろん、キリスト教は現在の文明に寄与する"良い"面もあったし、共産主義は現在の中国の様な仮面共産・北朝鮮の根拠なき選別(差別)の共産、そして、ポルポトの共産(ポルポトについては知識が乏しいので書きにくいのだが。私は専門教育も受けてないし、歴史に興味を持ったことも無いのでね)の方がはるか多くの人々を不条理に虐殺していることも付け加えておく。


それでいつも思うことなんだけどさ。
社会科学系。その中でも歴史の研究とか、そんな大層なものでなくても追求でも関心でも良いかな、まず「真実」「事実」を突き止めるのが非常に困難だよな。近代史なら信頼性の高い一次資料(漢字変換ミス:一次史料)を突き止めるのも比較的たやすいけど、現在から遠ざかるにつれて困難になる。

当時の歴史資料を読むのが確実なんだけど、古い文書は日本語でも読めないし、外国のものだったらもうお手上げだ。そして、当時の為政者は自分達に都合の悪い事実は隠滅したりする。歴史の中で権力争いや自由と権利を求めて破れ去った者は、本当はすばらしい面や良い評価をされてしかるべき面も有ったのに、勝手に「悪者」にされて、歴史の中でそういう評価が定着しまうこともあるのではなかろうか?

"強者が生き残り、彼らの立場に立った史観に基づいて歴史を形成すれば良い""敗れ去った者達はおとなしく地球上の生存競争から脱落して消え去れば良い"というのは、この世の冷徹なルールなのかもしれないけど、実際にどんな事件があって、政府内や国際的に事後処理や対策がどのようになされたか、事件に至る経緯を確実な資料できちんと裏付けして歴史として残しておくことは、後生の国造りや思想形成の為に必要だ。

だから、歴史の中で名も知れず埋もれていく民衆なら構わないけど、政治上重要なポジションにいる人達は(外務省・内閣府など)、ある程度時間を経過して政策に悪影響が無くなったらば、詳細を公開してもらいたいものだ。(これは他にどこかにも書いた記憶があるかな)

しかし、日本だけないかもしれないけど、「真相は墓場までもっていく」と、公的な重要ポジションにいるにもかかわらず、のたまう奴らがたくさんいて困ってしまうよ。
歴史というのは言い方は悪いけど、せっかくの貴重な人体実験なんだから。

(今日はここまで 06/09/16-20)

(執筆 06/09/16)

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