暗示をどのようにつくるか?
暗示(suggestion)について、書き殴ってみる。ネットで久々に見回っているとなんかまだ理解していない人が多いから。。。

●運動能力がUPしたとな?
良くTVなんかで鉄棒で逆上がりができなかった少年が催眠によって逆上がりができるようになったシーンが映っていることがある。あれを見て、運動能力を向上させたと勘違いしている人はいないだろうか?できなかったことができるようになったという点では確かに運動能力は向上したと言って良いのかもしれないが、彼の持てる運動能力がUPしたのではない。
運動能力を矯正したと表現した方がいいのかもしれない。

緊張してゴルフのパッティングがうまくいかないとか、サッカーのシュート練習でいつも枠を外すというようなものなら、悪癖の矯正という点で催眠の出番はあるだろう。(滅多にいないと思うがシュートしてもゴールに届かない極端にパワーの無い人やキーパーに簡単に反応されるようなシュートのスピードしか無い人はだめだろう)
線の長さを本来持っている能力に置き換えて説明すると、BさんはAさんのようにまっすぐ上に伸びれば目標に到達する能力があるのに、様々な要因(これらは実際その人を観察してみないとわからないし、観察したからといって必ずわかるとは限らない)によって、能力が目的の方向に素直に向かわない。

こういう場合は、催眠は有効である可能性はある
ただ、線の長さは伸びる訳でない。火事場の馬鹿力で普段出ない力を出すこともあるが、常時そんな力を出していたら体を壊す危険があるだろう。余力は残しておくものだ。

元々逆上がり程度はできるだけの能力はあるのだが、それをできないようにしているものがある。野球で特に癖がある訳でなくスムーズなバットスイングで打球が内野までしか飛ぶだけの力しかないのに、催眠による暗示一発で外野フェンスを楽々越えるよう力が出始めるというあり得ないこととは違うのである。

私も、小学校低学年の頃は逆上がりができなかったが、そんなに気にしなかった。
しかし、小学校4,5年というある程度の年齢にくると、逆上がりくらいはできなければいかんだろうと思い、何故できないのか考えてみた。
頭が逆さになることに対するちょっとした恐怖心もあったのだが、思い切ってしまえばそれは大した原因ではない。それで、逆上がりができる人をよく観察した。なんてことはない。両腕をちと力を過度に加えてしっかりと肘を曲げて胸を鉄棒のほうにグッと引きつけてやれば、逆さになった体は自然と持ち上って、腰の部分が鉄棒より上にあがり、あとはつま先を地面のほうに次第に下ろしていけば、体は自然と回転し逆上がりができてしまう。
多少不格好でも一旦できてしまえば、後は何回か練習して、もう完全に逆上がりはできるようになってしまう

腕に障害があるとか、他の子供に比べて力が極端に劣る等他の子供と比較して肉体的なハンディがあるならともかく、普通の肉体を有しているのに逆上がり程度の運動ができないのは、恐怖心等の精神的問題もあろうが、体の動かし方が悪いとか、へんな癖がある、姿勢が悪い、やるべき動作が欠落しているなどの問題がある
できる人の動きを良く観察することである。それで矯正点が複数あったにしても、いっぺんに直そうとして全て暗示に盛り込むのではなく、最初は最も改善すべき点のみを指摘したり暗示してやれば良い。そして、なるべくイメージしやすい簡単な暗示に。
現在小説家であられる松岡圭祐さんの催眠関係の著作に、自転車に乗れない少年は得てして姿勢が悪くなっているから、背骨に硬い鉄の棒が通っているようイメージさせるものがあったが、そういう簡単なイメージ。
(鉄の棒が背中に刺さっているから"痛い"というのは想像しなくていいが。。ははは。)

後、昔テレビで少しだけ拝見したのだが、元テニスプレーヤーの松岡修造氏の出演者に対するコーチは、イメージしやすい指導の仕方で素晴らしいと思った(内容はほとんど忘れてしまったが)

その場合、別に催眠を用いなくても子供に適切な指摘をしてやるだけで十分に目的を達してしまう(逆上がりができてしまう)場合もある。


●遊びと勉強、それらは互いに相入れないことなのか?
天気の良い日、遊びに行きたいけど、勉強しなくてはいけない。
遊びにふらふらと出かけてしまう衝動を抑えきれない私の弱い心を催眠ちゃん(催眠様?)になんとかしてもらえないかしら?

直接的暗示で「天気が良い日でも勉強がしたくなる。」と潜在意識に言い聞かせるか??
私も自己催眠で昔やってみたけど効果なかった。というより、私自身が催眠状態にすらならないのよね。
細かいことをいうようだが、”でも”という逆接の接続助詞は否定的意味(天気の良い日は勉強したくないのに。。。)を感じる人がいるので使用しないほうが良いだろう。
やはり、""で素直につないだほうが良いかもね。

暗示は、「そして」「そうすると」で文をつないでいくのが基本とされているから。

どう考えても、楽しさという観点から言えば、遊び>>>勉強だろう。

好き好きと言われ続ければ、"好き"になる人もいるけど、経験で嫌いになっているものを好きにさせるのは、ちと越えなければならない山が高いんじゃない?
勉強って楽しいか?本当に面白い、もしくは少しでも楽しく感じられるなら、そんなに苦悶し迷わないでしょう?
全ての日とは言わないが、そのうちの何割かは「今日は勉強するか。」と自発的に机に向かって勉強できているはずではなかろうか。

じゃあ、どうする?
一日は24時間しかなく、遊べば勉強する時間はそれだけ減るし、勉強すれば、遊びに行ける時間は無くなってしまう。その上、遊びに行くほうが勉強なんかよりずっと楽しい。

結論からいうと、
1.まずは、嫌なことでもやれるある程度の忍耐力は必要。
2.しかし、過度に頑張りすぎないこと。
3.勉強と遊び、それらを完全に相反するものにしないように時間調整を考える。遊びを報酬に用いる。少ない時間でも必ず勉強する習慣をつける。現在は変化してきたのかもしれないが、日本の勉強はテストが制限時間内に早く正確にできることが第一とされている。
「早く勉強が終われば、気兼ねなく楽しく外に遊びに行ける」という方向で考えてみたらどうか。このように暗示を"設計"すれば良かろう。俺ならそうする。
そして、早く正確に問題を解ける習慣が身に付けば、テストにも有効である。
朝早く起きて少しでもいいから勉強する習慣をつけなさい。そして、自分への報酬として絶対に外にも遊びにいくことである。どうしても残ってしまった勉強は遊びに行ってからすること。
その際、今度こそやり残さないために、「次回、短時間で勉強を済ませてしまえば、今度こそ本当に何の心配もなくおもっきり遊びに行ける。」と暗示を入れてもいい。
生活にもメリハリ、苦楽で変化をつけなくてはね。
(04/04/29 てきとうに執筆  04/04/30 接続詞の訂正 04/05/01-02文章訂正)

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