現場と学術機関。

 とある研修会の進行役やら受付業務をしてきて、なんとか帰還した。
私は、そのテーマには門外漢であったため、その研修内容に関してちんぶんかんぷんだった故、学問的、実務的にも私にとってはなんの足しにもならなかったのだが、最初から運営の為だけに駆り出されたこと、そして私が命じられた仕事であるから、それはそれで仕方ない。

そこで思ったこと。
その研修会は、現場で働く人達が自分が興味深いと思われるサンプルを持ち寄り、それについて考察した結果を壇上から発表し、偉い先生方などがそれについて助言、論評するというスタイルであった。しかも学会発表で必ず設定される時間制限がなく、時間無制限でまるでノーガードで殴り合うような討議がなされることも以前はあったそうだ。

現場はサンプルが豊富であるが、地域性など偏ったサンプル群になる恐れもあれば、通常のルーティン(決まり切った)仕事の合間を見つけて、研究・説明文の執筆をしなくてはならないため、考察時間面で恵まれている訳でない。

一方、論評する教授陣は、多少の雑用はあろうが研究一本でやってこられる恵まれた環境にある。ただ、そのポジションを得るまでに刻苦勉励・それなりの社交性を体得し活用してきたのであろうが。

だから、現場の人達の考察が雑でポイントがずれていたり、深く考え抜かれていないことを厳しく指摘する光景には、なんとなく反発を感じる。ただ、それが学問的追求をするのに必要な厳しさを教えてくりていることは十分に承知している。
さて、上記文章はずいぶん前(3年前)に書いたのだが、もうはっきりと書いてもいいな。
牛とか豚の病理研修会の受付・会場設営の手伝いに行ったんだったな。
病理は全然わからないから、退屈で眠くて仕方なかったな。

この研修会は元々食用動物の病理を研究をしようという有志による自発的会合が発端で始まった会で、それぞれの発表に対する質疑応答の時間制限が無くて、下手な発表をすると延々と討議が続くこともあったらしい。

現場で標本を集めている人達は通常業務の合間に行っている訳で、それぞれの業務をしている地域のサンプルが主になってしまうため、サンプルが偏ってしまうのは仕方ない面もある。

それをどんな偉い教授か知らないが、サンプルの採り方が偏っているとか、こういう実験方法はとれなかったのか、と指摘している光景は、オブザーバー的な視点で見ている私には理不尽な言いがかりをつけているように見えることもあった。

現場の人達は通常業務も忙しくて、研究時間が無いから大局的視点を欠くこともあるのだが、指摘する教授がリーダーシップをとって全国的統計をとってみればいいではないか、と思ったよ。

あと、研究環境が全く酷いところもあって、「本当なら(研究環境などの事情が許せば)この方法でやってみたいのに」と思う方法ができないこともあるんだな。機材や適切な研究室が無いだけならまだしも、試薬や材料さえ買えないというところもある。

研究環境を考慮されない評価というのは困ったもんだな。

(最終更新 04/09/19)