事実は事実として認めることの難しさ(プロ野球団「巨人」について) | |||||||||||
日本プロ野球とは私から見れば、スバリ
家庭や家族を舞台として設定したドラマをホームドラマというが、日本プロ野球とは巨人軍を主人公としたチームドラマで、そのドラマは巨人軍の個性的な選手達(といってもそんなにいるわけでないが)を様々な側面からテレビメディアを駆使してスポットライトを当てて、お茶の間にキャラクターを浸透させて顔なじみにさせて人気を得ていく、野球ルールに従ってプレイしながら組み立てていくアドリブだけのスポーツドラマである。
それに、12球団制の競技スポーツというシェル(殻)をかぶせてスポーツとしての味付けや装いをしているだけなのである。 似たようなことは、ずいぶん前に喫茶店でパスタを食べながら読んだSPORTS GRAPHICS NUMBER誌のコラム(「セ・リーグは巨人の優勝装置」等)で読んだことがあったが、ここまではっきりと書いた文章ではなかったので、私がここで書いた。 今までは親会社の宣伝やプライドだけでパ・リーグをここまで持たせていたが耐えられなくなったので、パ・リーグ各球団が、巨人を主人公としたドラマの脇役として参加させていただき、その出演料(テレビ放映権料)をくだされぇ〜〜、と言っているのである。 もっと大胆にいうならば、テレビ視聴率も、巨人軍と他球団の視聴率をスポーツの枠組みで出しているが、もっと現状を吟味して厳密に考えるならば
もちろん、競技スポーツが人気を博していく過程でドラマ的要素を持ち始めることはいくらでもあるのだが、(プロレスのように競技スポーツであること自体を放棄してしまうものもある。日本の場合は最初からショーを主としたものだったらしい。ヨーロッパ・アメリカは当初は賭けが成立するスポーツだったらしい。)、いやしくも競技スポーツであるならば、そしてその上にプロスポーツを標榜するのであれば、メディアの露出、一般層に対するアピールの機会も均等であるべきだと思う。今のスタイルはまるっきりドラマ仕立てである。 このまま一リーグにすることで運営の仕組みを変え問題点を解決できると勘違いしている人もいるが、たとえ、東西対抗のオールスターや東京六大学野球に既にあるはずの天皇杯の創設をして改革を果たし危機的な症状は収まったかに見えても、読売グループのむき出しの欲望が何の制御も受けずに反映されていく体質はそのままなので、本当の病巣は摘出されずに完治することなく、その欲望が満たされないことがあれば、いずれ新たな発作を引き起こすと思われる。 表面的には、何か気にくわない不利益を被るような事態が発生すると「有志連合だ。新リーグだよ。」などと唱え出す症状が出るだろう。プロ野球人気という身体そのものが生き長らえていれば、の話だが。 忘れていけないことは、 1.上記枠で記載した、日本プロ野球=「巨人軍のチームドラマ+2リーグ12球団制で行われる競技スポーツとしての野球」という現状認識 2.当面は巨人の主役の立場を認めること
4.放映権料やグッズ販売利益を各球団に分けるシステムを導入する 5.戦力均等を図るため、徐々に選手の移籍制限やウェーバー方式のドラフト制を導入すること 6.ここが肝心だが、主役交代の機会を導入すること
今、書いたことは、今のままなら考慮されるとは思わないけど、これから状況がどう推移していくか見守りながら、自分の感覚や判断が当たるのかどうか楽しませてもらうとするか。
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(04/07/10)