動物愛護団体は、虫一匹殺さないのか?
動物愛護団体の人達が「動物虐待反対」「動物実験反対」と唱えて押し掛けてきた体験があるが、確かに無益な殺生は止めるべきと私も思う。でも、飼い主から離れて迷子になった動物とか、飽きたから捨てられたペットを一時保管・飼育するのに必要なお金や労力、そして新しく創られた医薬品がどのように治検等を経て承認されてきたか、彼らは考えたことあるのだろうか?動物愛護=動物を殺さない、と短絡的な思考に走る人がいるのはどうしたことか?

ある知人の研究者を代弁してここに書く。「そこまで主張するなら、君達、薬価収載医薬品使うなよ!!
もしくは、治験データのない医薬品使うべきだ。でなければ、病気に苦しむ人々のために動物実験をしていない医薬品の実験台に是非志願して欲しい。それともエホバの証人みたいに絶対輸血を拒否するくらいの気構えで、「かわいいワンちゃんやネコちゃん、ネズミちゃんなどを犠牲にしてできた薬なんて、絶対要りません。ダメなものはダメー。」と激しく叫んで運動を起こして欲しい。

そうしていただければ、薬局の前に「動物愛護団体の方々へ:これらの医薬品は、あなた達が愛し慈しんでやまない動物達の犠牲によって効果・安全性が保証され承認されたものです。つきましては、事前にその旨申し出てください。貴方達に提供いたしません。」という看板が近いうちに出せるようになるだろう。(無理だろうけど)

数多くの犬が暗闇で高音・大声でキャンキャン叫んでいる光景を見たことがあるか?
そんな光景を見たら、心優しい動物愛護団体のあなたたちは決して、動物実験を経た薬を使いたいとは思わないはずだ。
私は、犬や牛が安楽死もしくはと殺される為に、連れて行かれる姿を何度も見たことがあるが、大概連れて行かれないように抵抗するのである。自分が殺されるのをなんとなくわかっているのかもしれない。

動物愛護の精神について理解を示しますが、なぜ、檻の中に閉じこめたり動物実験しなくてはならないか?その理由や言い分にも耳を傾ける気にはならないものだろうか?どこかのホールを借りて、動物達が狭い檻の中で綴じこめられている写真の展覧会を開いて、世の中に愛を啓発していると自分達に酔いしれているような気がしてならない。


もう一言付け加えさせてもらうけど、気軽に動物を捨てる人は、”動物が好きだった”はずの人達である。
動物嫌いの人は最初からペットを飼わないからである。

とある情報紙で読んだフレーズだが、確か「肉(ソーセージという場合もあるらしい)をつくるところと法律ができるところの内幕は人に見せるな。」というのがあった。それだけ血なまぐさいということだろう。
最近、食生活や医薬品も充実し、バラエティに富み、健康的な生活をおくることができるようになった。
単においしいものだけでなく、健康を考えたものも続々発売・提供されている。


これ以上は話が発展していくので。。。
ここまでとする。

(執筆:02/07/12  最終加筆訂正・推敲日 02/11/28)

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