極悪人に人権なし
人権とは?

 「人権」「人権」とやたらうるさい団体がある。
どこかにも書いたかもしれないが、やたらと"愛""平和""人権""世界市民""差別撤廃"などと唱える奴ほど考えが偏向していたり行動が極端で信用ならないというのが私の思いである。
日々の生活の煩わしさに流されて、なかなか熟考する時間が無いのだが、”人権”とはいったい何であろうか?私はめったにこの言葉を使用する機会が無く、意外と皆さん気軽に使用していて具体的に解説できる人は少ないのでなかろうか?
ちょっと自分に気に入らないことがあったら、すぐ人権侵害と叫んでいるのでないだろうか?

やたらと叫ぶ人達について余談

また、「何々日本一!」とかけ声ばかりでっかく唱えている(注:その政治家は既に勇退されましたが)のも、どれもこれも全然日本一に届いていないのに興ざめで恥ずかしいから止めて欲しいし、その政治家自身や家族が日本一と誇っている地域から我先に逃げ出していて生活しているようにみえる。夜に、自分達に都合の良いニュースを肴にして、時にはつぎはぎ編集して偏向報道して、テレビで寝言を言っている有名な元新聞記者のニュースキャスターも反米姿勢が顕著なのにもかかわらず彼の妻や子供はアメリカに在住しているのとだぶって見える。

という訳で、まず「人権」の定義について調べてみることにした。
まず知識が無いと考えてみることすらできないからね。

人権の定義(調べてみた結果)
  • 人権とは、人が人らしく幸福に生きていくために最低限必要な権利であり、誰もが生まれながらにして持っていて、誰からも侵されることのないものです。
  • 1948年に国連総会で採択された世界人権宣言の第1条には、「すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とうたわれています。
日本国憲法 第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。


基本的人権の原則
1.固有性・・・人間である以上当然に持つ
2.不可侵性・・・たとえ、憲法が改正されても失われない
3.普遍性・・・全ての人間に差別なく与えられている

人権に関する宣言のさきがけとなったのは1776年のヴァージニア権利章典です。そこでは次のように述べられています。「すべて人は、生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は人民が社会を組織するにあたり、いかなる契約によっても、人民の子孫からこれを奪うことのできないものである。かかる権利とは、すなわち財産を取得所有し、幸福と安寧とを追求する手段を伴って、生命と自由とを享受する権利である。」

ヴァージニア権利章典では、生まれながらの権利として、財産に対する権利、生命に対する権利、自由に対する権利が挙げられています。幸福な人生を送るために、財産を取得し、生命の危険にさらされず、自由を享受する権利は、人間が生まれながらにして持っているものであり、かつ、譲り渡すことができないと考えられたのです。


そうか。人権(基本的人権も含む)に関してはもっと多くの説明があるので書ききれないので、今回はこのへんにしておくが、非常に難しいし、国際的にも歴史的にも定義に幅がある。

最初にきちんと、それら人権に関する資料を読破してから、自分の「人権」に対する考えを構築していくのが本来の道筋なんだろうが、そんな手間暇をかける気はないので、自分の思いをまず表明してから、資料を少しずつ読みながら修正すべき考えは直していくということにしよう。

まず、私の主張は。
1.今、まさに他人の人権(生存権)を脅かそうとする者は、著しく人権を制限、もしくは剥奪されてしかるべきではないのか?(個人も団体も国も)
2.自然状態では、「人権」は保障されない。「人権」が社会契約説によるものならば、論理的整合性のある主張や意見、もしくは国家的弾圧に対しては抵抗で勝ち取るもの。もちろん互いに尊重しあうものであろう。

互いの人権が衝突している場合や国家の権力が及ばない場合はどうするのか?

チベット人は生存権など、ものすごい基本的人権侵害を中国共産党からされていると思うのだが、ほとんど実効性のある救いを得ているとは思えない。
基本的人権は人間である以上当然に持っているのではなかったのか?

基本的人権はお題目だけなのか。。。。
こんな意地悪な問いかけをしなくても、自然状態ではどんな人権も保障されていないのは明白だろう。人権を獲得するにはいろいろな系統的努力が必要であろう。

(とりあえず、ここまで 05/03/11)
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