極悪人に人権なし | |||
人権とは? 「人権」「人権」とやたらうるさい団体がある。 どこかにも書いたかもしれないが、やたらと"愛""平和""人権""世界市民""差別撤廃"などと唱える奴ほど考えが偏向していたり行動が極端で信用ならないというのが私の思いである。 日々の生活の煩わしさに流されて、なかなか熟考する時間が無いのだが、”人権”とはいったい何であろうか?私はめったにこの言葉を使用する機会が無く、意外と皆さん気軽に使用していて具体的に解説できる人は少ないのでなかろうか? ちょっと自分に気に入らないことがあったら、すぐ人権侵害と叫んでいるのでないだろうか?
という訳で、まず「人権」の定義について調べてみることにした。 まず知識が無いと考えてみることすらできないからね。 人権の定義(調べてみた結果)
そうか。人権(基本的人権も含む)に関してはもっと多くの説明があるので書ききれないので、今回はこのへんにしておくが、非常に難しいし、国際的にも歴史的にも定義に幅がある。 最初にきちんと、それら人権に関する資料を読破してから、自分の「人権」に対する考えを構築していくのが本来の道筋なんだろうが、そんな手間暇をかける気はないので、自分の思いをまず表明してから、資料を少しずつ読みながら修正すべき考えは直していくということにしよう。 まず、私の主張は。 1.今、まさに他人の人権(生存権)を脅かそうとする者は、著しく人権を制限、もしくは剥奪されてしかるべきではないのか?(個人も団体も国も) 2.自然状態では、「人権」は保障されない。「人権」が社会契約説によるものならば、論理的整合性のある主張や意見、もしくは国家的弾圧に対しては抵抗で勝ち取るもの。もちろん互いに尊重しあうものであろう。 互いの人権が衝突している場合や国家の権力が及ばない場合はどうするのか? チベット人は生存権など、ものすごい基本的人権侵害を中国共産党からされていると思うのだが、ほとんど実効性のある救いを得ているとは思えない。 基本的人権は人間である以上当然に持っているのではなかったのか? 基本的人権はお題目だけなのか。。。。 こんな意地悪な問いかけをしなくても、自然状態ではどんな人権も保障されていないのは明白だろう。人権を獲得するにはいろいろな系統的努力が必要であろう。 (とりあえず、ここまで 05/03/11) |
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