他人を殺したいと思ったときに
 春は別れと出会いの季節ということで、いろいろな人達が本人が望む望まないにかかわらず、新天地へ赴くことになったりする。
 いきつけのスポーツトレーニングセンターの受付のかわいい女の子も突然、姿を消した。最近ようやく気軽にお話しできるようになったのにとても残念であるが、まあ単に話し相手として私が楽しんでいただけだからまあいいや、と気を取り直そうと思っても、それでもやっぱり生きる楽しみをちょっぴり失ってしまったようで、すこし感傷的になるね。
 この春からは、宝くじ売り場のお姉さんが、新しい話し相手として私のかすかな楽しみになってくれそうではあるかな。
まあ、冒頭いきなり脱線しているが、とある知人がよっぽど頭にきたことがあるのか、「(あいつを)ぶっ殺してやる」というメールをいただいた。実は意外と短気な私がそんなセリフを言うならともかく、その知人のセリフとしては過激だったので、多少気になり、時代劇に出てくる遊び人みたいに「おいおい。穏やかじゃねえな。」と電話した。
その電話での会話でわかったことは、異動で職場が変わり、その際かなり不愉快な思いをして、感情的になっていたのだった。
詳細は当然ここに掲載する訳にはいかないが、口とかメールでは「ぶっ殺してやる。」と吐いていても、本当に殺してやりたい訳で無く、一安心というところか。

さて、あなたは他人を殺したい、と思ったことが今まで生きてきて何回ありましたでしょうか?

私はいっぱいある。

「そんなことは誰にでも数多くある。」と思っているけど、自分自身がそうだからそう思うだけかもしれない。
しかし、殺人を犯してしまった時、自分の肉親や友人の心情や憎悪する相手の家族の悲痛や境遇、逮捕・投獄されてからの自分の行く末(自決する場合もあるだろうけど)を思い浮かべたならば、そこまでしてまで殺したいと思うほど憎たらしい人はめったに存在しないものである。

それでも、そこまで思いを馳せても、自分が完全に滅亡してもいいから、自分の存在を完全に否定されてもいいから、殺したいと思った人は、私には2,3人いる、実は。

ある程度時間がたっているから、状況が変化していることとその人達の人格なり心境が変化していることも考慮すると、実行に移すかどうかわからないが。。。

警察に捕まったときに、犯行をなした人が、顔を背広かコートで覆ってマスコミ等から隠しているのは警察の配慮もあると思われるが何故か解せない気持ちもある。ざんざん考え抜いたけど、我慢してきたけど、殺人するしか方法がなかったのであれば、堂々とするというのは言い過ぎかもしれないが、せめて顔を正面に向けて出てくればいいだろう。

まあ、くれぐれも一時の激情で軽はずみな行為をとらないように。
よく考え、悩んだ末に事に臨むこと。
決して許されはしないだろうが、後で自分が後悔しないこと。
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(03/04/11-23)

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