雑感(03/08/22)
 通常、何かを自主的に学ぶとしたら、自分が興味持ってることとか今より良くなることを目標にしていると思う。でも、何らかのデータを取るためにわざと「こんなことをしたらうまくいくことないだろうな。」とか「これは明らかに失敗するだろうな。」とか「これは無謀だな。」と予測されることを覚悟して行う実験や行動がある。こういうことを一般的な言葉ではないのだろうがWorse Test(ワーステスト)という。Challenging Test(チャレンズィングテスト)の一種なんだけど、チャレンジの場合は「いろいろ試してみる」「枠組みを外して試してみる」「(現時点では)困難とされていることに挑む」とかいう意味合いがあって、よりいいものを目指すというニュアンスがまだ残っている感じがある。

私も研究や検査でたまにやるけど、まず絶対にいい成果は出ない(笑)。

心理学など勉強している人は、そして本格的に専攻しているような人でなければ、例えば「もてるには」「友達をつくるには」「自分の殻を破るには」などの書物を読んで実践しようとしている人々は、絶対に良くなる方向を目指しているに違いない。でも、逆に「こうしたら嫌われる」「こうしたら顰蹙をかうのでは」と思うことを、やってしまったら致命的でない場面(友達とか恋人や生活する為に必要な信用や親愛の情を失ったら大変だから)試してみると新たな発見があるかもしれない。他人の適切でない言動を見て「他山の石」としてもいいけれどもね。自然科学の実験ならいいけど、社会科学とか心理学は医学実験と同様、人体実験をしてしまう時があるからやろうとする時は慎重である必要もあるから。まあ、人生自体、いろいろ試行錯誤して生きていく人体実験そのものだが。

ちと、話は変わるが

健康に関することとか政治(最近は国際情勢:特に極東情勢)に関することは、少し関心はあったが、基本的に私は人生をエンジョイ(楽しむ)することに集中したかった。しかし、自分自身の体の不調とか周囲で耳にする変な話(理解できない健康に関する話題「波動」「トランス療法」「薬漬けでない唯一無二の療法」とか他の療法家をぼろくそに批判しながら、健常者ですら聞くに堪えない攻撃的暴言を放ち続ける被害妄想的過剰反応する自称療法家など)、そして、「票を投じてください」「近隣諸国と(無条件に)仲良く」と言い寄ってきたり訴えてくる政治集団・市民団体・活動、社会不安、変なフィルターをかけられたニュースのせいで、そういうことにも注意を払うようになってしまった。払わざるを得なくなった。

自分自身の思考では、彼らの政治的主張とは異なる結論になったけどね。

まあ、しかしあれだ。
日本国憲法の第12条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。」という条文があるけど、本来政治家や官僚などを監視するための国民の判断材料とするため、事実をありのまま伝えてなくてはならないマスコミが勝手にニュースを自分たちの偏向したふるいにかけたり、変なBGMを流したり、映像操作(前後の発言映像をカットして、自分たちが"問題発言"として祭り上げたい部分だけ放送する)をして意図的に改ざんしたりするので、その政治を監視する責務のあるマミコミに対してすら、国民の"不断の努力"で監視していなくてはならないとは情けないね。何が報道の自由だよ。ふざけんな。何のためにそのお題目が掲げることができるのかわかっとんのか!!あいつらはほとんど報道愚連隊だ。
健康においても、自分の健康は自分で守るという"SELF-MEDICATION"という言葉がよく聞かれるようになってきたが、報道でも自分の政治の判断材料は自分で精査しなくてはいけないのかよ?やぶ医者だけなく、やぶ報道にも対処しなくてはいけないのかよ。
あいつらを良質のメディアとそうでないものにうまく選別する方法無いもんかな。ごみの分別ですら手間かかるし、完全にはできないしなぁ。
ネットによるマスメディア報道に対する精査もそのうちの一つであるけど、どうも決め手に欠けるようだし。

政治家とか官僚・マスメディアを完全に信頼することはなかったけど、あそこまで売国的なことをするとは思わなかったな。寄生虫の枠を飛び越えてしまっている。
資産保全の為、銀行に一億円預けていたらいつのまにか使い込まれて残高なし、とか、信頼できる医者に任せて健康維持に励んでいたら、突然「あなたは末期のがん」と知らされたくらいの衝撃だな。これは。

(03/08/22-08/23 推敲日08/24)

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