書き殴り文も100で止める予定(かなり中抜けもございますが・・・・・)なので、もう少しで終わりか。。。
権力を求めるなら、しっかりとポストについて責任もとるべきでは?
民主党の小沢一郎氏(61)が今後も党の役職に就かない考えを表明し、政治塾を通じ、自らの存在感を誇示する構えで、民主党での活動に一線を画す構えだそうだ。
「総選挙の候補者調整など政権獲得の戦略で菅氏と小沢氏は相当ぎくしゃくしていたようだ。無役を貫くのは、生涯身軽な立場で影響力を強めるつもりではないか」と自民党幹部も答えていると、ニュースも報じている。
うーむ。日本型の政治で良く見かけるスタイルだが、自らは表舞台に出てこないで、見栄えの良い人や人気ある人を前に立てていることが良くある。よく観察してみると、その人を盛り立てているとか応援しているというのではなく、実際の権限はその裏に回っている人が持っていて操っているというものである。
かつての、中曽根康弘総理−"キングメーカー"・"闇将軍"田中角栄のいわゆる”田中曽根内閣”とか、もっとなじみの良いわかりやすい例で言えば、抵抗辞任劇により崩壊したがプロ野球の巨人の原辰徳監督−渡辺オーナーみたいなものか。まあ、オーナーが口を挟むのは仕方ないが、不満なら素直に辞めさせればいいんだよな。「原監督のさわやかなイメージは欲しい。けど、コーチ等チーム内の人事権はやらない。」というのでは。ポストの座に当然付帯されるべき肝心の権限を取り上げて、責任の矢面に立て!!とはそりゃ容認できわんな。
しかし、結構こういう例はいくらでもあるよ。
官僚機構だって、ごくわずかなトップのみに権限が集中していて、何か起こった時はしがない末端の職員が責任や非難を受けまくっている。権力とか権限が必要な時に行使されなくて、自分の地位や権力を守るためにしか用いられず、勲章みたいに偉い人のアクセサリィと化しているのである。
不祥事や事件が起こって、非難が殺到して怒りの電話が鳴り響いても、本当に責任ある偉い人は個室でぬくぬくどこ吹く風とのんびりしていて、非難の矢面に立つ電話番は何の権限もうまみもないみじめな末端職員なのである。ははは。。。。。まあ、そんなものさ。って、これでいいんだろうか?
最近は、ピラミッド型の組織からフラット型の組織に変貌しているという情報がいろいろ流れているけど、要は幾分かの仕事を任され、それに応じた責任が伴うなら、やはり、それにふさわしい権限を与えて仕事させないと、うまく動かないってことだよな。仕事にはならないってことだ。
権力と責任は不可分なもので、それが乖離しているのは、いろいろ問題を引き起こす。
責任をとらない奴が、非難を矢面に立って受けない奴が、権力を行使するというのは怖いことだと、思う。
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