ドカルト仕事について
長い文章というのは書くのも読むのも嫌だ。
だから、今回は素っ気なく殴り書きする。
私も社会学方面は専門教育も受けてこなかったし、早々と(私の目標とした人生からは)脱落したくらいなので、ろくな能力も無いので大したことは書けない。

私の体験から、カルトみたいなものがたまに見られる。
"カルトみたいな"とは、カルトという言葉がいろんな意味合いで使われているために混乱をしばしば生じているので、こういうぼかした表現にしたのである。

とりあえず、適当にまとめるけど。
●カルトとは
・もともとは「礼拝、儀式」を意味する言葉だった。ネット上で検索して読んだ論文には「神聖」という意味もあった記憶があるが、確信が持てない。
・「古い宗教に対立して起こった新しい宗教」「異端のあるいは偽の宗教」という使われ方もあったらしい。
・「破壊的カルト」・・・詳しい説明は割愛
・少数であっても熱烈な信者が存在するような宗教的団体
・一般人には理解し難い、おかしな人の集まりという差別的意味で使われることもある。→「わけのわからない不気味な集団」
・クイズ番組では、余程のマニアしか知らないようなどうでも良い知識を指すようだ。
意味については、これくらいにしておこう。

宗教的教義・学問・趣味、対象が何であれ、熱心に取り組む人(達)と周囲の人達の間で、知識や価値感にかなりの落差がある。

各種学問・技能に取り組む専門家は努力の蓄積もあって、当然に世間一般の人達とは才能・知識・技術面で大きな力量差があるが、余程趣味的な学問以外は彼らは世間一般の人達からカルト視されていない。今までは情報発信という点で怠慢だったし、後もうしばらくはそうなのかもしれないが、最先端に至るまでのプロセスが明確であること、周囲の人達と知識や価値観の共有が可能な限りされているからではないだろうか?

外部からの疑問には、可能な限り(説明されても、高度な知識、数学・物理学はほとんど理解できないだろう。私もさっぱりわからん。。。)回答し、風通しを良くすればいいだろう。

(ここまで 06/02/06)

これまで私が経験してきたことの中に、どうみても合理性を感じない仕事があったことを思い出す。

ささいなことなのかもしれないし、細やかな心使いが感じられると好意的に捉える向きもあるかもしれないが、会議で使われる資料で書類をホッキチスで左上の角を綴る際、左図の様に斜めに綴じるのでなく、右図の様に書類の辺に平行に綴じ直せ、と指示する上司が存在するという話を会議終了後に聞いたことがある。その方が読みやすいというのである。(下に示す)
←ホッチキスの針


    書  類
←ホッチキスの針


    書  類
私としてはそんなに違いがあるとは思えないのだが、とにかく上記の様に細かい指示をする人がいるというのである。一事が万事この調子で、その人の下で働くのを嫌う人が結構いた。

小回りの効く会社でなく大会社や官庁事務では、目的合理性が無い業務が頻繁に発生すると伝え聞いているが、それが本当に必要な仕事かどうか判断するのはあくまでも上司というなら、しょうが無いな。
ここで誤解されても困るので書いておくが、"小回りの効く会社"なら労働者に都合良いという訳でない。
当然のことながら
小回りの効く会社 → 体力(資金力)の乏しい小さな会社 というケースが多いので、たとえ目的合理性があっても(会社の最大目的は"金儲け"なので)、利潤追求の為に長時間過密労働&賃金コスト不当カット(サービス残業や社会保険料等の支払を免れる為に正社員にしないなどの策を弄す)のセットで会社の為に労働者を不幸にする。

しかし考えてみれば、世界中どこでもそうなんだろうけれど、日本は戦争中(World WarU)でもお国(天皇)の為に臣民が、現在でも会社の為に労働者が虐げられてしまうね。
こういう閉塞状態を打開する為の,大儀というか理想というか思想が見あたらないような気がするけど、私に事実誤認があるのか教養が乏しいのかそこは十分に理解できない。

ただ、共産主義というのも失敗だったな。
極めて単純に書くけど、利益を公平に労働者に配分する(しかし、功労者にはその分報いるだろうけど)、その作業を市場を通さずに強大な権力をもって行う時、多様な労働の評価をする賢明な機関(システム)と利益再分配を適切に実施するのは困難だろう。
「神様ですらできないことを人間ができる訳が無い」と言われる所以だろう。

(今日はここまで 06/02/09)
・宗教の自由は本当に認めて良いか、について記す予定
例えば
・教義を明確に記したものを役所に提出させ、自由に閲覧でき、その公開された教義と異なる行為(そのような思想を講義した場合でも)を行った場合、罰することができる
・他の人の基本的人権を侵害する宗教は当然に許可しない。等