運命鑑定について私の考え |
私もいろいろな事情で多忙なので、このテーマの執筆はここらで打ち切り。 まあ、時間とお金に余裕あれば、ライフ・リーディングとかフィジカル(ヘルス?)・リーディングできる人で信頼性が高そうな人を訪ねて体験してみたいところではあるが、制約が多くて困難である。 |
占い師や霊能力者に自分の運勢を鑑定してもらって、良い運勢だと安心し悪い運勢だと気力を無くして何もしない人がみうけられる。まあ鑑定の結果が悪いとき、大抵の場合は、その場で救われる方法とか打開策も提示されるものだけど。それがインチキでないと保証はどこにもない。 中世ヨーロッパのカトリック系キリスト教の免罪符みたいにお金さえ払えば罪を赦されるというように「このアイテム(壺か数珠か御札か知らないが)を買えば、悪い運気は取り払われるであろう。」と言って何かしら買わされるかもしれない。 多少疑心暗鬼な気持ちであっても、縁起が悪いとか運気が良くないと言われれば気分は良くないので、気分を晴れやかにするためあまり金銭的に負担にならなければ購入してしまうこともあるだろう。 占い師さんに鑑定をお願いしようと思ったとき、最初は鎌倉あたりに恐ろしいほど良く当たる占い師さんがいるという噂を聞いていたのでなんとか探して鑑定してもらおうと思っていたのだが、誰か特定できなかったので、比較的良心的とか面白い占い師と言われている人にお願いすることにした。 その時、なるべくプライベートなデータを出さない(鑑定の際、尋ねられたら仕方ないが)ように心がけて、それでも当たるかどうか確認した。 まあまあ良いところまで当ててきたかな、と思った。 しかし、当てずっぽうかもしれないし、服装や表情など表面に現れていたり会話の中から読み取れるものがあったのかもしれないし、占い師の人生経験や多くの鑑定依頼者と会ってきた中で培われてきた長年の勘かもしれないし、占術の古代からのデータの蓄積から導き出したかもしれないし、本当に霊能力・常人に持ち得ない能力で読み取ったのかもしれない、それらは全然わからない。 実際に鑑定してもらっても、私一人の鑑定で「これは当たった」「これは外れた」「ちと違うんじゃない」と心の中で思っていても、漠然と体験しているだけで、科学的な検証は到底できない。 「当たった」「外れた」と一喜一憂、期待と失望を繰り返していても、運命を知る方法に関して新しい発見がある訳ではない。 占い師と全く面識が無い被験者を一定数集めて、それらの人に関する予備知識も知られないようにして鑑定する結果を客観的に判定するなんてことは、よほど大がかりな規模の実験をしないとできない。 良心的な人に限るのだが、占い師さんは個人的には必要だと思うな。 自分ではこうしたいと思っていてもなかなか決断できない人もいる。誰かに相談したい、他人のアドバイスや意見を聞きたいということが結構あると思う。こういうとき、後押ししてくれる人が周囲にいなければ、占いというかたちでサポートしてくれるのもいいと思う。 もしかしたら、本当に超能力的な能力を持つ人もいるかもしれないし。(詐欺師と区別をつけることはできないが) (今日はここまで 04/06/02) |