簡単に他人や物に自分の人生を託す人へ
 自分という存在は、様々な存立要因があるが、過去の考え方とか生活環境に大きく依ってできている。
そういう自分を否定したい、変えたいと思ったら、可変要因(変えられる要因)−生活環境や考え方−を変えてみようと思うだろう。それは間違いではないと思う。
変えられない要因−身長とか年齢、運動能力など−は変えられないけどな。ルックスなら整形手術して、ある程度はなんとかなるだろうが。
ただ、そのときに、自分の人生を、考え方も含めて何もかも全部否定して変えたいかどうか熟考してみるべきなのではなかろうか?自分が持っているものの中に何か譲れないもの、否定できないものがあれば、どんなにすばらしく価値のあると思う教えが目の前に現れても盲従しないほうが良いだろう。
「俺は、私は、教祖様や導師と心中するつもりでこの教えに賭けるんだ。」と命知らずのギャンブラーのように1点買いしないことをお勧めしたい。

「真珠婦人」というドラマが人気を博したと聞く。昼メロドラマ(Soap Opera)らしいから私は見る機会は無かったからどんなドラマか知らないけれど、「心中野郎」「心中娘」などというドラマのモデルになるようなことは無いように。
人間、心中なんて余程のことがない限り考えないことだ。

今、流行の白装束集団も、当事者−付近住民・自治体そしてPanawave研究所自身も−だと必死かもしれないが、無責任に言ってしまうと、はたから見ているとおもしろいんだよな。
俺も、適当に神様とか天使の名を創作して、「天啓を受けた。」とか「財布スッカラカン波を受けて、財布がスッカラカンになる攻撃を共産ゲリラから受けている。」と言ってみたいよ。
もしかしたら、あくまで私の仮説なんだけど
釈迦(釈尊)が「自分の眼前にある現実はあなたが真に思っていることが現実になっている」とかなんとか言った(うろ覚えなので確信ないけど)という。
嘘・作り話、そこまでは言い過ぎでも、妄想や幻想・幻覚でも、何回も言い続け強固に思い続けて唱えたり主張していていれば、「嘘も本当になる」ではないけども、自分(達)の思う世界というのは造られるのもしれない。
ある意味、嘘・妄想・誤りでも、言い続ければ思い続ければ夢は実現するのかもしれない脳内だけ、少なくとも一部のコミュニティ内だけは通用するという違いはあれども)。

しかし、いくら強固に何人もの人間が束になって、こうなんだと思い込んだところで、もっと多くの人々によってつくられてきた本当の歴史や、自然の法則は変えることができないから、例え霊能力や霊感が本当に代表者や教祖に備わっていたとしても、どこかで破綻をきたすのではなかろうか?大自然や現実には謙虚であるべきだろう。
その格好のモデルが北朝鮮だな。
中国4000年を越える5000年の歴史と言ってみたり、各地方の気候を無視した首領様の号令による全国一斉の田植えとか収量アップの為の密植(単位面積あたりに多数の苗を植える;google検索)とか・・・。真摯に自然の英知・仕組みを探求したり歴史を振り返ってより良い政策や方法を考えようとしない思想や行動。


ちょっとぐらい病気が治せても、未来が少しだけ予知できても、所詮人間。
どんな病気でも簡単に治し、空中からパンでも金(gold)でも取り出し、自然法則を意志ひとつで変更できるくらいの人が代表者の団体なら、私だって参加させて欲しいけどね。

(執筆03/06/04 最終修正日03/06/06)

sinpi00ファイルに戻ります