簡単に他人や物に自分の人生を託す人へ | |
自分という存在は、様々な存立要因があるが、過去の考え方とか生活環境に大きく依ってできている。 そういう自分を否定したい、変えたいと思ったら、可変要因(変えられる要因)−生活環境や考え方−を変えてみようと思うだろう。それは間違いではないと思う。 変えられない要因−身長とか年齢、運動能力など−は変えられないけどな。ルックスなら整形手術して、ある程度はなんとかなるだろうが。 ただ、そのときに、自分の人生を、考え方も含めて何もかも全部否定して変えたいかどうか熟考してみるべきなのではなかろうか?自分が持っているものの中に何か譲れないもの、否定できないものがあれば、どんなにすばらしく価値のあると思う教えが目の前に現れても盲従しないほうが良いだろう。 「俺は、私は、教祖様や導師と心中するつもりでこの教えに賭けるんだ。」と命知らずのギャンブラーのように1点買いしないことをお勧めしたい。 「真珠婦人」というドラマが人気を博したと聞く。昼メロドラマ(Soap Opera)らしいから私は見る機会は無かったからどんなドラマか知らないけれど、「心中野郎」「心中娘」などというドラマのモデルになるようなことは無いように。 人間、心中なんて余程のことがない限り考えないことだ。 今、流行の白装束集団も、当事者−付近住民・自治体そしてPanawave研究所自身も−だと必死かもしれないが、無責任に言ってしまうと、はたから見ているとおもしろいんだよな。 俺も、適当に神様とか天使の名を創作して、「天啓を受けた。」とか「財布スッカラカン波を受けて、財布がスッカラカンになる攻撃を共産ゲリラから受けている。」と言ってみたいよ。
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(執筆03/06/04 最終修正日03/06/06)