ここは誤解されずに聞いて欲しいところですが、世の中には、社会が成熟・成長していないために、優秀な人や先見性のある人、個性的な人物(人物でなく、民族でもいいかもしれないが)を受容できないということもありますし、社会が荒んでいるため、我を張り無茶な行為や主張をする人ばかりがのさばったり保護されたり(特に最近の裁判例とか不法入国外国人の犯罪)して、善良な人が苦しめられているということもあります。 そういうこともありますが、社会は容易に変えられないのが常ですが、現在の社会で生き抜いていくためには、それに順応・対応できるように心身を鍛えておかねばならないというのも事実なのではないでしょうか? 最近では、運動会で順位をつけずにみんなで仲良く手をつないでゴールインなどとやっている学校があるようですが、最初その話を聞いた時は信じられず「おもしろいジョーク」だと思いました。何でもみんな努力したから順位をつけるのが気の毒だということらしい。でも、社会に出たら順位をつけるどころか、結果で評価され、努力を顧みられないことばかりですよ。 学校というのは、社会に出るための準備期間じゃないの? 特に自己満足系と称しても良さそうな左派の先生に言いたいが、そんな教育をして生徒を送り出す前に、努力しただけで褒め称えられる社会、せめて会社や生活共同体を作ってから生徒をそのような世界に送り出して欲しいものだ。順番が逆だ。生徒の未来を犠牲にして自己満足するな。まあ、そういう社会を建設しようとしたんだろうけど、どこも上手く行かなかったようだね。どこか間違っているんだよ。 自分たちが変えられるものと変えられないものを丁寧に謙虚に峻別する能力をまず身につけるべきだろう。 |