脳天気な念力主義者はどうして発生するのか?
 平和運動をすれば、日本国内のどこかの公園でジョン・レノンの歌を歌って「自分は平和運動をしている」と酔いしれてしまい、北方領土返還運動をすれば、日本国内のどこかの集会場で日本人だけの署名を数多く集めて「今日はよく頑張った」とこれまた酔いしれてしまい、動物愛護運動をする人の中にはただ「動物を殺さないでぇ!!」と押しかけてくる人もいて、一昔前には、社会革命運動では、帝国主義者に成敗を、とかなんとか言っているうちに対立する団体と鉄棒を持って殴り合ったり、爆弾をしかけて爆発させどうみても帝国主義とは関係ない一般市民を巻き添えにしていたり、新興宗教に関しては・・・・・別にいいだろ。実例はたくさん知っているはずだから。

現在の日本人に「戦争は嫌ですか?」と尋ねたならば、大多数の人は嫌だと言うに決まっているだろうし、署名もしてくれるだろう。しかし、日本は現在戦争していないし、紛争が起こっているのは他の国だから、現地へ行って当事者同士の調停・説得をしなくてはならないのでは?デモをしてマスコミを通して「俺たちゃ、戦争大嫌いだぜ。」とアピールするだけの目的ならいざ知らず、日本で運動を行うなら政府に和平プランを提示し・政府に行動を要求する必要があるだろう。夫婦げんかでさえ犬も食わないのに、日本にとって利害関係が薄く、背景理解も乏しい場合に国家が様々な負担(経済的、および紛争に介入する際の心理的負担)を抱えてまで、単に人道的という理由で和平に乗り出すかどうか知らないが・・・・。

「北方領土が還ってくればいいですか?」と尋ねられたら、日本の大多数の人は返還されればいいね、というに決まっている。北方領土に住みたがる人は現在あまりいなくても、領土が増えれば排他的経済水域も増えて、水産資源、もしかしたら、付近の海底の資源採掘にも有利になるのだから。
その領土を返さないのはロシアなんだから、ロシアに働きかけなくてはならないのではないの?
いくら日本人の署名をいっぱい集めても仕方ないじゃん。
まるで、そこらへんに落ちている枯れ葉をいっぱいちりとりで拾い集めて、質屋へ行き「これでダイヤの指輪と交換してくれ。」と言っているようなものではなかろうか?催眠術か何かで枯れ葉がお金に見えているような滑稽な人みたいで、自分達だけ集めた署名が価値あるものだと考えていて、相手は糞を拭くトイレットペーパーにもならんと思っている感じだろう。

日本政府なら大切な有権者の署名は尊重してくれるだろうから、日本政府になんとかしてくれ、というならわかる。署名活動およびシュピレッヒコールは直接的有効手段になり得ない。返還させるアイデアやプランは誰かが別に用意しなくてはならない。


相手は、チェチェン武装勢力による劇場占拠事件を、禁忌とされる毒ガス使用(あくまでも疑いだけだが・・・)で鎮圧しまがりなりにも解決したプーチン率いるロシアだよ。日本人だけの署名集めて、こんなにも北方領土返還の要望が集まっています、って言っても、「はい。そうですか。」と素直に返していただけるはずがないと思うけど。

どうせ署名を集めるなら(できるかどうか知らないけど・・・)、現在北方領土に住んでいるロシア人に対してしなくてはならないし、北方領土が返還されなかったならばロシアにとって政治的にも経済的にも不利になるような政策や働きかけをしなくてはならないのではなかろうか?それをお調子よく援助だけくれてやり、発電所やムネオハウスとか作っているようでは、どうして還ってくるだろうか?北方領土を占有している(しかも日ソ不可侵条約を破っての火事場泥棒的な占有)ことでロシアがとても負担になり、日本に返したくなるような必然性が必要だと思う。

以前、戸塚ヨットスクール主宰の戸塚宏さんが、自分の著書の中で、母親に甘やかされた子供が母親の親切な行為(ヨットに乗る際の救命胴衣のひもを結ぶ)にちっとも感謝せず、たまたま見学にきていた女性の教育実習生に、戸塚氏が「あの子に親の行為に対して心から感謝させてみろ!!」と言った内容の文章が載っていたが、その教育実習生は子供に対して「いい。こんな時はお母さんに『ありがとう』って感謝するのよ。」と言い聞かせるだけだったという。
それじゃ、形だけは「ありがとう」って言うかもしれないけど、心からは感謝しないだろうと、俺でもその本を最初に読んだとき(もうずいぶんと昔のことだが)、そう思ったよ。感謝する必然性がないもの。その際、戸塚氏はどのようにして子供に心から感謝させたかは、古本屋で探すなりして自分で調べてほしい。(戸塚宏著:「私はこの子たちを救いたい」 KAPPA BOOKS)


こういう脳天気な人たちはどうして次々と発生するのであろうか?

念じさえすれば何でも神風でも何でも吹いて解決する、と思っているのだろうか?
大日本帝国時代、太平洋戦争に破れて亡国寸前となった病巣の原因が今でも日本に残存していると言わざるを得ない。

「病気なんて嫌々よ!!」とフリルのついたミニスカ衣装を付けて激しく踊っても、はたまたギターをかき鳴らし魂の叫びとやらで熱唱しても、病気が治らない事実があれば(もしかしたら、何万回に一回ぐらいは治ることもあるかもしれないが・・・)、容易に推察できると思うんだが、「平和。平和。」と昔夢中になってTVで見たのかどうか定かでないが、魔法少女なんとかちゃんみたいに呪文みたく唱えても、平和はやってこないと思うのだが。。。そうしているのが、幼い少女ならかわいらしいのだが、お年を召したご婦人というのも・・・(ここで、●●などと書いてしまうと、石原東京都知事みたいに、文句を言われかねないから書かないよ。ははは・・・)"平和教信者"と命名してもよかろう。

私は宗教については門外漢でちっーとも知らないけど(知りたくもないけどさ・・・)、「南無・・・・」とお経を唱えさえすれば、ディズニーランドかソープランドか健康ランドだったか失念したが、死後に無条件で行ける宗教あったよね。あっ、ごめん。なんとかランドじゃなくて極楽浄土だったね。失敬。
その亜流みたいなものだ。死後の世界について通用するのかもしれないが、現実世界(物質世界)では通用せん考え方だろうよ。

健康上の問題にかかわらず、分野を問わず、問題解決にはその背景、原因を探り、そして意図した結果を得るために行動の有効性・波及効果をきちんと検証しなくてはならないんじゃないの?
願いを持つことはそれなりに意義あることだと思うんだけれど、何らかの行動を起こさないことには現実社会には反映しないから、やろうとする行動や今までしてきた行動が意図した結果を産むかどうか真摯に検討しなくてはならんと思うんよ。


以前、武部農林水産大臣が「(狂牛病対策にとって)、原因追及はそんなに必要ですか?」と発言していたのを聞いたことがあったけど、発生原因の追求なくしてきちんとした対策を立てる方法があるのか?と思った。もし、そんな方法があるならば、是非拝聴しなくてはならないと思わず期待したくらいだよ。そんな夢みたいな方法、知りたいよ。もし単なる世迷い言だったなら、専門のスポークスマンでも設置することだろう。そんなことだから、櫻井よしこさんに「不適材不適所」などと言われてしまうのでは。

(続く) ここまで03/02/18-20

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