プロレスについて
ある雑誌、確か別冊宝島だったと思うが、旧:全日本プロレス(馬場さん存命時。現在の全日本プロレスとは違う。)のリング設営に関わっていた人のコメントを一読したが、「プロレスに市民権なんて要らないよ。」というものがあった。

"プロレスに市民権を"と言えば、前述のアントニオ猪木選手がプロレスが(選手当時、そしておそらく現在も)白眼視されていたことに対して、「プロレスは真剣勝負なんだ。」と、故・梶原一騎氏らと今で言うメディアミックス(映画・コミックス)の利用により、要所要所で主張していた。
プロレスは凶器を使用したり、乱入したり、何よりも世間から見て八百長くさいので、そのことのコンプレックスから来る反発から市民権を唱えてきたのかもしれない。で、現在はいうと、もっと白眼視はひどくなってしまった。いや、白眼視どころか暴露本連発(ミスター高橋氏等)やK−1、プライドの台頭で余計に相手にもされていない、見向きもされなくなってしまったように思う。格闘技戦にも出られるような選手以外は、マニアにだけ注目されるスポーツになってしまった。

私は「私、プロレスの味方です。」の著作者である村松具視氏では無いが、プロレスに肩入れしていたものだ。それだけプロレス、特に新日本プロレスが面白かったということもある。心理的に離れるようになったのは、今のプロ野球の1リーグ制を巡る騒動・問題噴出と同様の、当時の新日本プロレスのゴタゴタに対する嫌気と第二次UWFの台頭である。ブロディ死去ぐらいまでは見ていたのかな。。たまに全日本プロレスの鶴田、天龍選手の試合は見ていた記憶がある。
UWFは真剣にやっているのは理解できたが、やはり"プロレス"であったこと、やはり見ていて面白くないと思ったからである。たまに見ると面白い試合はあったけど。
時代を経て、ビデオレンタル店でも全日本や新日本のビデオより、UWFのビデオが先に消えたような気がする。
関節技を友人にかけてもらったことはあるが、関節技の攻防が理解できないんだよな。それに関節技って本当にポイントが決まってしまえば、絶対に我慢できない。
「わからない奴は見に来るな。」と不遜な事を言っていたUWF。「面白くなったら見ない。それよりは他の娯楽に行く。」と思っていたから、そのままフェイドアウトした。

いろいろ書くことはあるのだが、きりが無いので以下のことについてのみ書く。
1.究極のところ、スポーツ観戦の魅力は演劇論でしか語れないのではないか?ということ。
2.妄想の世界、マニアックな世界は不思議な魅力がある、何かの拍子にとりつかれることがあるということ。(当時の新大阪新聞社"週刊ファイト"購読体験より)
3.結論は出ないのだが、結局のところ、プロレスはどうすれば良かったのか、ということ。

(本日はここまで 04/11/24) 以下、執筆中
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