究極のところ、スポーツ観戦の魅力は演劇論でしか語れないのではないか? |
芝居を見るにしても、スポーツ観戦するにせよ、見る人にとっては所詮ショーだと思う。 もちろん、観戦しているスポーツを実際に体験していたり−例えば、過去に選手としてプレイしていた、娯楽として草野球、草サッカーなどをしていたというレヴェルも含む−、選手のサイドストーリー(選手同士の因縁とか苦労話とか友人・家族やファン・裏方との心の触れあい等)を知っているとより深く観戦を楽しめるだろう。 だが、とことん突き詰めて考えると、選手のことを完全に知っている訳ではない。(選手自身だって、自分のことを本当に知っているかどうか疑わしい。そうなると人間全般について言えることなので、ここまでは考慮しないけど。) 観客は自己の体験と得られた知識、それぞれの想像力(妄想たくましい人もいる)で、選手のプレイを見て勝手に楽しんでいるのである。 得られた知識は直接選手と触れあったことが無ければ、ほとんど全部マスコミを通したものなので、本当のことかどうかわからない。 だが、ファンの楽しみ方はそれで良いと思う。勝手に楽しめばいい。 面白くなかったらファンを止めるだけだ。面白くなくなって困るのは選手の方である。 格闘技の場合はどうなのだろう。プロレスを格闘技の範疇に入れるのは現時点では間違いだろう。プロレスは格闘活劇、格闘演舞と言った方が適切かもしれない。 |
メニューに戻る | 前のページ | 次のページ |