●"空想"程度では空しい。
いい大人になったら、「自分は"空想"している」という自覚を持った程度の夢では、後で空しくなったり恥ずかしくなることが多いのでは。
(自分としては、本当は妄想の方が恥かしいと思うのだが、前述の言葉の定義によれば、容易に他者によって変更できない信念にまでなってしまっているから恥かしく無くなってしまうんだろう)
●空想する時又はした後の気恥ずかしさがあっては、とても(他人様の前で)公言できないはずなのだが。。平然と公言したり、中には新聞や雑誌を発行して主張・断言する場合もある。前述定義どおりの「妄想」一歩手前の状態に近い。
それらメディアの中で、大概、「私はこのように思う」「私はこう願っている」という控えめな表現でなく、「こうなんだ!」「そうあるべきだ!」と断言してしまう。某○日新聞とか。
●初期の頃は、空想だと理解していたり、実際に証明されていない・多少願望が混じっている理論?とか説明、身内や賛同者内のみで通用するキャラクター付け(尊師とか聖なる地位?とか前世から受け継がれた使命を持つキャラとか)が、当面は暗黙上"その仲間内だけでは真実とされている"ものが熱中・傾倒しているうちに、いつのまにか"仲間内以外の外界にも適用できる真実"と思いこんでしまって、社会に影響(良い意味でも悪い意味でも)を与えることがある。
内心における熱い思いはほとんどの場合、必ずどこかで表現されてしまうものだ。
●自分は空想しているのだ、とわきまえていても、空想ばかりしていて現実に対して極めて関心が薄くなってしまったり現実に直面するのが嫌になって日常生活に支障が出たりする。この状態は「妄想」間近である。
ここらへんの意味をなんとか言葉の定義に含めたい。。。。。 |