詐欺師呼ばわりされても仕方ない人達
 ようやく体調が上向いて参りましたので、まとめの文章を書いておりますが、現状では催眠関係の講習どうなっているのかわからないし、そして知りたいとも思わないので、今更過去の体験を振り返って書きつづっても何だか大いなる時間の浪費のような気がしてならない。
書くと決めてしまったから、とりあえず書いているだけである。
いろいろ書いては消してと、考えながら書き進めているのですが、何故かというと、私はどこかの誰かみたいに、自らの鬱屈した気持ちを発散したり自分の存在意義を確認する為に苛烈な言葉で他人に応対し誹謗中傷をねちねちと繰り返す人間になる気は無いからである。(最近見たけど、自分こそが誹謗中傷されている、と記載していたようだった。)

自分の体験を通して、比較してより有益なもの(金銭的にも効果面においても)を探し出して、紹介・提示し、他人の技術を求める人間には徒労・損失になるのを防ぎ、技術の提供者にはより良いものを提供しようと奮起することを期待するのが建設的であり、自主性を尊重するのではないか?と思った次第である。

今振り返ってみると、要求されている対価(てっとり早く言ってしまえば、"お金"のこと)に比して、技術的にも理論的にも拙い講習(それに伴うテキスト)が多かったような気がする。

大々的に宣伝している講習会ほど。そして、中には人間的にも全く尊敬できない人も。

今更、そのようなことを書いて、ああだこうだと論評や感想(批判とまではいかないし、そんな意識も無い)を書くのにしのびない理由としては、以下の理由もある。
1.今から考えれば拙くて未熟な講習や技術だったとしても、その時点においては、その人が提供しうる最大・最善の技術と知識だったかもしれないこと(詳しく解説
2."全く役立たずで百害あって一理なし"のようなものならいざ知らず、それなりの実用性や有用性があり、それを提供することがその人の"生活の糧"になっていること(詳しく解説
3.時間が経過すると、人やその周囲の環境・情勢も変化していくので、体験当時と違ってしまうこと(良くなったり悪くなったり・・・でもその基準も人によって違うか。。。詳しく解説)。

結局は、自分で体験しないとわからない。
受講したり、療法を受けに行ったりして、すぐに、でなければ、ある程度時間が経ってから、「あれは(お金が)もったいなかったかな。。」と思うもんだけどさ。しかし、それは自分の知識量や経験値が増えたから言えることかもしれない。だけど、一人の先生に傾倒しすぎていたら気がつかず、満足しきっているかもしれない。

お金を大切に思う人や大事に使いたい人は、このネット時代、情報を十分に仕入れて取り組めばそれでいいかもな。つい何年か前は、体験談を見るということも容易では無かったからね。もちろん、悪徳業者の自画自賛もあるから気をつけるように。

後は、特に言うことはないな。
催眠の講習程度なら、緊急性は無いし代替もいくらでもあるから大層なことは言わない。

ちと、書く内容がちと題名とズレちゃったな。。。

あとはここでも見ておいて。

(04/02/16)

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